23年前の1月17日(午前5時47分)に起こった大きな揺れで目を覚ましました。
大阪府の湾岸部で生活をしていましたから震度6はあったようです。
NHKテレビをつけましたら、宮田修アナウンサーが地震の情報を流し続けていました。その日の担当であった宮田アナとは後に私がNHKラジオの関西ラジオワイドと言う生番組に出演した時に相手役のアナウンサーとして顔見知りとなったのですが、宮田アナはその前の宮城県沖地震の時も仙台放送局で発生時に放送をした経験があり、その時はどうも冷静に放送できなかったという反省の念を持ちながら業務をこなしていたようです。
そして、阪神淡路大震災の当日、2度目の担当アナとなったということでした。
私は 阪神間のマンションの復旧に関与することとなりましたが、その時の教訓があります。
大震災が発生しますと、検討する時間的余裕がない中で、適格な判断をして物事を実行していく必要があります。
マンションは多数の人が区分所有者として関わっています。
当然平時のように皆さんが集まって協議することは無理です。
そんな時に、緊急時のルールが決められていればことはスムーズに進みます。
管理規約に緊急時のことを想定して決めるべきこと、その手続きについて明記しておくことが肝要であると実感しました。
ただ、こうした緊急時のことを平時の時に議論することは、なかなか難しいかと思います。
災害の影響が残っている時は良いのですが、日数を経過すると緊急時の対策を考えなくなってしまいます。
しかし、万が一のためにルール作りは怠らない方が良いと思います。
私事ですが、女房の実家が明石にあり、大阪の天保山という埠頭から神戸まで船に乗って飲料水や食糧・衣料品等を届けました。
震災から23年たった日に記します。
今年の冬は寒さが厳しいですね。